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2011年9月 8日 (木)

星野富弘さんの詩画について

『きょう』

空は開かれ
風は透され
そしてわたしは
きょうを聴いている

眠りのときも
めぐりながら
めぐりながら

過ぎゆく何かに
こころ傾け
きょうを聴いている

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ちょっと 意味不明?
この詩は 星野富弘さん詩では無く
わたしが書いた詩です。

星野富弘さんの詩画について

疲れたとき 心弱ったときや不安定なとき
ふと星野富弘さんの詩画集を開きたくなります。
その時々で 立ち止まる詩はちがうのですが
星野富弘さんの詩は わたしの心を癒してくれる
そんな感じです。

少し長くなります。
興味のある方は 続きを読んでください。

星野富弘さんの詩画に出会ったのは 今から数年前のことです。
日ごろ 詩集とかあまり読まないので
書店に行っても 手にすることはほとんどありませんでした。
ただ 当時のわたしは 精神的に疲れてた。。。。
そんな時 何気に手にしたのが星野富弘さんの詩画集
『花の詩画集 花よりも小さく』でした。
その中の一つを紹介します。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『悲しみの意味』
(サフラン)

冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも 苦しみもあって
私が私になってゆく

『花よりも小さく』
(偕成社・2003年より)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

この詩画集に出会い 星野富弘さんのことをネットで調べ
そして 星野富弘さんのことを知るにつれ
なんという目線!!
自分の身の周りを素直に表現する心
そんな星野富弘さんの詩に感化されたように思います。
星野富弘さんのような心は とても持つことができません。
星野富弘さんの詩画集との出会いで
わたしの言葉の雰囲気も大きく変わりました。
今 紡いでいるわたしの言葉たちは
星野富弘さんの詩に多少 影響されてるように思います。

長くなりますが もう一つ 紹介させていただきます。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

『きく』

喜びが集まったよりも
悲しみが集まった方が
幸せに近いような気がする

強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする

幸せが集まったよりも
不幸せが集まった方が
愛に近いような気がする

『四季抄 風の旅』
(立風書房・1982年より)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

この詩と向き合える状態のときは
安定してる気がします。

初めて この言葉にふれた時は
向き合うことが出来ませんでした。
視点が違ったのでしょう…

しあわせって何?
真実って何?
それに対する自分なりの答えを
求めてしまいます。

でも それが
「よろこび」だけ あるいは「悲しみ」だけ
どちらか一方を見てたら やはり 見つかりません。

真実も同じだと思います。
「強さ」だけ あるいは「弱さ」だけ
どちらか一方を見ていただけでは
やはり 見つけることはできないでしょう。

生きていくうえで
必ず その双方があって
いろんな波を経験するのだと思います。

こんな言葉を思い出しました。
すべてのわざには時がある。

生まるるに時があり 死ぬるに時があり
植えるに時があり 抜くに時があり

泣くに時があり 笑うに時があり
悲しむに時があり 踊るに時があり

捜すに時があり 失うに時があり
保つに時があり 捨てるに時があり

愛するに時があり 憎むに時があり
戦うに時があり 和らぐに時がある。」
(旧約聖書 伝道の書2:1-8)

いろんな時を穏やかに過ごしたいものですが
なかなか難しいです。

なぜ こんな事を長々と?
何となく書きたかった
書くことによって 自身へ言い聞かせる感じです。


星野富弘さんについて知りたい方は
↓↓↓こちら↓↓↓
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『星野富弘-Wikipedia』

星野富弘さんの詩画にふれたい方は
↓↓↓こちら↓↓↓
星野富弘 詩画集「四季抄 風の旅」より

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